参議院の山本太郎議員が,秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡したことが,与野党議員からもマスコミからも強く非難されています。
批判の内容としては,日本国憲法上,天皇は「国政に関する権能を有しない」とされており,政治に関わってはならない存在であるのは「常識」であるところ,山本議員の行為は天皇を「政治利用」するものであり憲法の趣旨から許されない,というものが多いようです。
中学生時代,山本氏の「メロリンキュー」で大笑いさせていただいた私としては,少し残念な気もするのですが,今回の行為の内容からは,批判も当然かなと感じます。
山本太郎氏の問題以外にも,憲法改正論議や,婚外子の相続分格差の最高裁違憲判決,一票の格差に関する一連の違憲判決,特定秘密保護法案など,近頃,「憲法」がニュースになることが続いています。
そこで,日本国憲法ってなに?ということを書いてみたいと思います。
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まず結論から申し上げますと,
国家権力に縛りをかけて国民の基本的人権を守る。
これが,日本国憲法の本質です。
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日本国憲法は大きく分けて「人権」と「統治」について定めています。
まず「人権」について。
日本国憲法には,国民の「基本的人権」を保障する,と書かれています。
「基本的人権」の中身としては,たとえば,幸福追求権,平等権,投票権,信教の自由,表現の自由,学問の自由,居住や職業選択の自由,財産権 婚姻の自由,裁判を受ける権利,拷問や奴隷的拘束の禁止などなど,具体的に書かれています。
これら憲法の人権規定のおかげで,
現代でも公正な選挙が行われなかったり,選挙権が制限されていたりする国があるにもかかわらず,現代の日本人は自由な意思で選挙で投票することができます。
また,出版でもネットでも,厳格な規制がされている国がありますが,現代の日本人は政府批判等も含めて,かなり自由に自分の意見表明ができます。
現代日本にも差別も依然残された問題があるものの,昔に比べれば随分改善した問題が多いと思います。
居住移転の自由や職業選択の自由なんて考えたことない方も多いのでは。しかし,現代でも生まれによって就ける仕事が制限されている国もありますし,日本でもわずか百数十年前まで,勝手に引越しや職業変えなんてできませんでした。それが今は基本的には自分の意思と努力次第で,どうにでもできます。
財産権も重要です。国によっては,権力が正当な補償もなく強制的に土地をとりあげてしまうような国もあります。また,きちんとした手続きも経ずに,どんどん無茶苦茶な税金をかけられては大変です。日本でも消費税をはじめ,色々税金が上がったりしていますが,我々が選んだ代表者が決めています。専制君主の気分で税金を取られるのとは,格段に違います。
裁判を受ける権利も重要です。権力者が気に入らない人物を恣意的にどんどん刑務所へ放り込めるなら世の中はどうなってしまうでしょう。
こういう意味で,「人権」は,きちんと保証されてないと困るのです。
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次に,「統治」について。
日本国憲法には,基本的人権の保障について書かれた部分のほかに,国会や内閣,裁判所といった,国を統治する仕組みについて規定している部分もあります。
これら「統治」に関する規定も,実は,「国家権力に縛りをかけて国民の基本的人権を守る」ことを目的に設計されています。
日本は民主主義の国だ,というのは,みんな知っていると思います。
日本は,国民が投票で選んだ国会議員が法律を作る,「議会制民主主義」の国です。
しかし,国民が選んだ国会議員なら何をしてもよい,という意味の「制限無しの民主主義」ではありません。
今,衆議院も参議院も,与党が過半数を占めています。
「制限無しの民主主義」の場合,与党が結束すれば,どんな法律だって作れてしまうことになります。
たとえば,「自分達は選挙のたびに苦しい戦いをしなければならない。ずーっと選挙がなければ落選の心配もなくて良いなあ」ということで,「一度当選した議員は死ぬまで議員でいられる法律」を作ることもできます。
また,「でもそんな法律を作ったら,マスコミに大騒ぎされて,国民から非難されて大変だ」ということで,「政治を批判する言論は禁止。違反したら死刑」という法律を作ることもできます。
そうなれば,日本は,終身国会議員たちが独裁的な政治をし,それを批判することもできない,独裁制恐怖国家になります。
また,上記ほど極端ではなくても,たとえば,特定の宗教を禁止する法律や,犯罪の疑いのある人には拷問してもよいという法律,税金を払えない人は子孫の代まで奴隷にさせられる法律など,少数派や弱者を弾圧する法律が,その時々の「民主的な」多数決で決まってしまうことは十分にありえます。多数決は間違うこともあるのです。実際に,ナチスドイツも,公正な民主的選挙によって多数決で選ばれたヒトラーが,圧倒的多数の国民の支持を背景に,大変な人権侵害を行いました。
しかし,今の日本では,いくら与党が力を持っていても,このような法律を作ることはできません。日本国憲法は,基本的人権について「立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする」(13条後段)のであり,「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」(99条)と定めています。
そうはいっても事実上,国会が基本的人権を無視した法律を作ってしまう場合もあるかもしれません。
いくら憲法に違反していても,実際に法律ができてしまったらしょうがないのでは?
そういう事態に備えて,憲法は裁判所に違憲審査権を与えています。
日本国憲法は,「国家がしたことが憲法違反がそうでないかについて最終判断をできるのは最高裁判所だけ」であると規定しています。裁判所は,民主主義によって選ばれた国会議員が多数決で決めた法律でさえ,「この法律は憲法に反するので無効!」と言えるのです。最近で言えば,議員定数の不均衡(いわゆる「一票の格差」の問題)や,婚外子相続規定の違憲判決などがその例です。
最高裁の憲法判断は,他の国家権力によっても揺るがすことができません。
そのため,最高裁は,「憲法の番人」といわれたり,「人権保障の最後の砦」といわれたりします。最近,自民党の一部の議員が婚外子相続規定の違憲判決に対し反発する発言をしていたようですが,三権の一翼を担う立場としては不適当であるように思います。
では,逆に最高裁が,憲法違反でもない法律を「憲法違反だ!」と言い張ったり,おかしな判決をしていたら?その歯止めはどうなっているのでしょうか。
裁判所は,基本的には,独立性が強く保障されています。「人権保障の最後の砦」たる裁判所が,一時の国民感情や政治情勢に簡単に左右されてはならないからです。
しかし,民意による監視がないわけではありません。
まず,最高裁判所の裁判官は,内閣の指名ないし任命によって就任します。
また,最高裁判所の裁判官は,「国民審査」を受けます。衆議院議員選挙のときに,投票所で裁判官の国民審査もやっているときがあるのを覚えていらっしゃるでしょうか。国民によって罷免されたら,最高裁裁判官は身分を失います。
このように,裁判官も,国会議員とは別の形で,国民による監視を受けているのです。
国民が吟味し投票で選んだ議員が国のルールを作る。
内閣が行政権を行使する。
でもそれらが国民の人権を侵害するものだったら裁判所が違憲審査で無効を宣言できる。
裁判所は国会や内閣から独立しているが一定の民主的なチェックは受ける。
そういう,互いの監視によって,国家権力の暴走を防ぎ,基本的人権を守る。
これが,日本国憲法の定める統治の仕組みです。
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憲法改正について,私は現在のところ護憲派です。
改憲論にも首肯できる部分はあるのですが,今の憲法の理解や検証が不十分なまま作られる「新憲法」では,立憲主義という歴史の英知を踏まえたものになるか甚だ不安ですし,その後の運用にも危険が伴うように感じます。
現在の憲法が,ここに書いてきたような役割を果たすものであり,戦後70年近い間,この憲法のおかげで,日本人が比較的平穏に,自由に暮らせてきた,ということは十分に踏まえたうえで,今後の憲法のあり方について議論すべきではないかと思います
(弁護士 立石 量彦)