某有名ホテルの事件に関し,表示偽装とコンプライアンスについて記事を書かせていただきましたが,その後,運営会社幹部による記者会見の様子がテレビで報道されているのを観ました。
概ね「従業員が意図的に表示を偽って利益を得ようとした事実はない」,したがって「偽装ではなく誤表示」であるとの主張と理解しました。
文脈からいって,会社側のいう「偽装」と「誤表示」の意味の違いは,「事実と異なる表示をしていると認識していたか否か」「故意による行為か否か」にあると思われます。
たとえば,ホテル側が納入業者に発注した食材と異なる食材が誤って納入され,ホテルがそれに気づかないまま,もともと発注した食材の名称を表示してしまった,などというのであれば,たしかにホテルの行為は「偽装」ではなく「誤表示」にあたると言えるでしょう。
しかし,記者会見では,ホテルが納入業者に「バナメイエビ」と指定して発注し仕入れたバナメイエビを,メニューに「芝海老」と表示していたことが質問者から指摘されると,ホテル経営者側は,「調理担当者がバナメイエビを芝海老と表記していいと認識していた。」と説明しました。
ホテル側の説明に対し,メディアやインターネット上では,厳しい批判がなされています。例えば,
バナメイエビと芝海老が異なる種類の食材であることは一目瞭然であり,「バナメイエビを芝海老と表示していいと思っていた」とはつまり「嘘を言ってもいいと思っていた」と言っているようなものでり,結局「誤表示」ではなく「偽装」ではないか!
というような批判です。
会社側のかような発言は,上記のような批判や,感情的な反発を買うのも当然であり,まさに,火に油を注ぐ結果を招いています。
当事者たるホテル従業員や経営幹部の感覚では,「騙している」とまでの意識は薄く,「偽装」と言われることに違和感があったのかもしれません。皆がやっていることだとの意識があったかも知れません。部外者にはわからない事情もあったのかもしれません。また,会社や従業員を守らなければならないという気持ちから,前記のような発言となったのかもしれません。
しかし,第三者の立場から見ると,あの記者会見が「マズい対応」であったことは誰の目にも明らかでしょう。
あの事実関係で偽装を認めなかったことこそ,まさに,同社の体質・文化を露見させてしまったように見えます。
会社が不祥事をいざ起こしてしまったら,その対応は,失墜した信頼をできるだけ早期に回復するものでなければなりません。自社の見解を述べること自体は良いですが,徒に批判・反感を増幅させるだけの自己弁護は,信頼回復の方向に逆行しています。
不祥事への対応には,冷静で客観的な視点,第三者的な視点をもってあたることが極めて重要です。
記者会見での発言は,内容自体に問題があるうえ,経営者のコンプライアンス意識の低さを対外的により強く印象付けてしまうという,事後対応の悪さが,私は気になりました。
そうはいっても,渦中の当事者が,自らを客観的に見て対処することは,なかなか難しいものです。
私が駆け出しの勤務弁護士だったころ,代表の弁護士から,「自分がもし訴訟の当事者になったら,必ず他の弁護士に代理人を依頼したほうがよい。」とアドバイスを受けたことがあります。
訴訟において,弁護士は裁判官を説得する役割を担っています。裁判官を説得するためには,依頼者の主張が客観的にみて正しいものであることを説明し,裁判官の納得を得なければなりません。裁判官の納得を得るためには,まず弁護士自身が,裁判官すなわち第三者的立場の判断者としての立場に立って,事件を冷静に眺める必要があります。
しかし,プロの弁護士でも,自分自身が紛争の当事者になってしまうと,そのような第三者的視点を保つことは非常に難しい,だから,自分の訴訟は他の弁護士に任せたほうがよい,ということなのです。
平時におけるコンプライアンスはもちろん重要ですが,いくらコンプライアンスを徹底しようとしても,不祥事の可能性をゼロにすることは無理です。
いざ不祥事が起こってしまった場合,経営責任を問われる経営幹部や,不祥事の発生した部署の担当者だけでは,第三者的視点の不足から対応を誤り,ダメージが拡大してしまう危険があります。
不祥事に備えて,企業の法務担当者や顧問弁護士など,客観的な視点で対応にあたれる人材を確保しておくこと,そして,経営者が,いざというときに,それらの人々の意見をきちんと取り入れる意識を持っておくことが必要だと考えます。
(弁護士 立石 量彦)